私の日記

2023年から、やっと自分を少し好きになれた

韓国の時間の流れ

2023年7月、初めて海外に行きました。

場所は、中学生の時から好きな韓国。

 

そこで、私が帰国後も忘れられない、忘れたくないと感じる

独特な感情を綴るためにキーボードに触れています。

---------

印象的だと感じた朝。

おしゃれな雰囲気が漂う、煉瓦造りの建物の門をくぐり階段を登ると

松の木が植えられたお庭が出迎えてくれるカフェ。

あいにく、雨が続き外の席に座れなかったのが少し残念でしたが、

中のカウンター席に通され、チリオムレツのプレート・パンとソーセージ、ベリージャムとチーズインオムレツ・フレンチトーストのプレート、それぞれドリンクを頼み一緒に行ったメンバーとシェアしながら食べました。

金額は、少し流行っているお店ということもあり高めでしたが、

店内が満席の状態でも、不思議とゆっくりと過ごせました。

 

私はもっぱら夜型の人間で、加えてインドアなこともあり

朝ご飯を食べにカフェに行くという行為をしたことがないのですが、

韓国で過ごしたその朝は、とても有意義で、

“丁寧な暮らし”、

“自分を大切にすること”

の重要さを垣間見たような気がします。

 

こんな朝がずっと続けばと、そう思いながらその時間を満喫しました。

 

5日もいたので、もっと思い出はあるのですが、文章で書き切ることができない、

私の今の思考力をとても残念に思います、、、。

気を取り直して、これから、

韓国で感じた時間の使い方や、自分との向き合い方を綴ろうと思います。

------------

日本で生活している時は、

自分の時間の使い方をもったいないと感じたことはありませんでした。

自分を大切にするということの大切さ、重要度も軽視していました。

その瞬間が楽しければそれでいいのだと、人生事態を甘くみていた、

そう振り返ると思います。

 

けれど韓国で過ごした5日間を経て、日本に帰ってきた時、

今まで住んでいた日本が違うように感じられ、私自身の何かが変化したのだと

感じました。

 

時間は、無限ではありません。

誰と過ごすか、どのように過ごすか、

そして自分をどれだけ愛し、いたわり、大切にしてあげられるか。

それが結構重要だったりします。

 

よく“自分を愛しなさい”という言葉を見たり、聞いたりします。

私はこの意味がよくわかりませんでした。

正直に言いますが、間違った解釈で勘違いをして自己愛が強くなってしまいました。

 

けれど韓国から帰国した私には、少しだけその意味がわかったような気がします。

 

 

自分が住む場所、時間、使うものや過ごす空間、長く付き合う人や、選ぶ本、音楽、

それらは自分の人生に大きな影響を与え、知らぬ間に私自身の形成に役立っています。

だからこそ、自分の心が必要だと感じるものを選ばなければなりません。

誰かにとって綺麗だ、かっこいいと思われるような虚栄ではなく、

自分自身が、好きだ、綺麗だ、かっこいいと感じることができるもの、

それが私たちが自分自身を愛するために必要なことだと思います。

 

仕事の仕方も印象的でした。

道沿いに立ち並ぶお店の店主さんは、みんなお店の中にお客さんがいないと

リラックスした状態でテレビを見たり友人と話したりしていました。

流石に流行っているお店や、百貨店などではそのようなリラックスしている感じは

ありませんでしたが、

それでも同じ職場の社員同士、フランクに世間話をするなどはあり、

そういったシーンから、いい意味で肩の力が抜けていて、穏やかだと感じました。

 

100%を目指さないと言われる韓国人だからこそ、日本人である私から見て

独特だと感じながらも、同時に居心地の良さを感じる雰囲気を出すことができているんだろうなぁと思えたんだと思います。

 

 

 

 

仕事をするときは、しっかり仕事をして、けれど休憩時間も楽しんで、ほどほどに。

休日には自分の時間を大切にしながら過ごす。

 

ワーカーホリックな私は、休憩時間もろくに取らず、

ずっとぶっ通しで仕事をして、土日は疲れて寝まくる、そんな過ごし方だったからこそ、

韓国で見た時間の使い方は衝撃的で、羨ましく、自分ももっとこの場所にいたいと感じ、

自分ももっと、自分の人生を楽しもうと思ういいきっかけになったんだと思います。

今までの私は「こんなに頑張っているのに」という感情の呪縛から周りへの優しさが欠如していましたが、そんな呪いのようなものから解き放たれて、帰国後周りにも優しく接することができているように感じます。

 

 

もし、自分の時間を大切にできてないなと感じる人がこのブログを読んでいるのなら、

今からでも少しだけ自分のリラックスできる時間を作ってみてください。

本当に何もしない時間でも、少しだけ高めの朝食を食べる、でも、

本屋さんに行って立ち読みをする、でもなんでもいいから、とにかく何か別の世界を覗いてみてください。

自分が、自分であるというその現実を愛せないのなら、

自分の周りに愛せるものを置き、過ごしてみてください。

そうすると、過去よりも、ほんのちょっとだけ自分を好きになれると、

私は思います。

 

好きな人のために自分を演じること

好きな人がいます。

 

彼は映画をよく観て、

(好きな映画はスターウォーズ

彼は音楽をよく聴いて、

(好きな音楽ジャンルは邦ロック)

彼は読書を好みます。

(好きな作家は谷崎潤一郎

 

 

対して私は、

映画をよく観るけど好きな映画はコテコテのラブストーリー。

音楽をよく聞くけど、もっぱら洋楽。

読書が好きだけど、好きな作家は村上春樹

 

 

彼と同じ趣味を持っていても、

蓋を開けばまるで違う。

 

話し始めてみると、違うというバツマークがお互いのチェックリストにつけられていく。

 

 

でも、私は彼が好きなものを好きにならなければ、彼に好きになってもらえないのだろうか。

逆に彼とは好みが違うから、私は彼とは合わないのだろうか。

 

 

人は、同じものを見ても、全く同じ感想を持つとは限らない。

ひとつの絵を見ても、見方が異なれば、感想も異なるのは当たり前だ。

 

 

彼を好きになる、

ということは、

彼が何かを見て、聴いて、感じたそのストーリーを、

もっと聞きたい、知りたいのだと感じることなのではないだろうか。

 

 

あなたがもしも、好きな人のために自分の好みを変える必要があると考えているのならば、

それは、ちょっと待ってほしい。

 

 

あなたの世界を、もっと知りたいと思う、

そんな人が、きっとどこかにいると思うから。

 

 

もし、好きな人のためにあなたの世界を変えて、彼があなたを好きになったとしても、

それは、あなたが彼のためにカスタマイズしたものであって、

あなたを好きになったのではなく、彼仕様に作り上げられた脆い世界。

それであれば、彼にとっては、あなたでなくてもいいと思う。

 

 

あなたでなければいけない理由、それを彼に示し、

同時にあなたも彼でなければいけない理由を見出すことができれば、

「恋」をひとつ成立させることができるのではないだろうか。

 

 

 

 

 

--20220221----